地域公共交通を活性化させるMaaS戦略:成功事例と政策的視点
はじめに:地域公共交通が直面する課題とMaaSへの期待
現在、多くの地域で人口減少、高齢化の進展、そして公共交通の担い手不足といった深刻な課題に直面しています。これらの課題は、地域住民の移動手段の確保を困難にし、地域経済やコミュニティの維持にも影響を与えています。こうした背景の中、MaaS(Mobility as a Service)は、多様な交通手段を統合し、利用者の利便性を高める新たなサービスとして注目を集めています。
MaaSは、鉄道、バス、タクシー、シェアサイクル、デマンド交通といった既存の交通手段に加え、将来的な自動運転サービスなども含め、これらを単一のプラットフォーム上で検索、予約、決済できるようにする概念です。これにより、個々の利用者の移動ニーズに最適化された、より利便性の高い移動体験の提供が期待されています。特に、既存の地域公共交通網が十分ではない、あるいは衰退しつつある地域において、MaaSは持続可能な交通システムを再構築するための一つの鍵となり得ると考えられています。
しかしながら、MaaSの導入がそのまま地域公共交通の活性化に繋がるわけではありません。重要なのは、MaaSを既存の公共交通サービスを置き換えるものとしてではなく、むしろ公共交通網を補完し、その利用促進に資する形で連携させる戦略的なアプローチです。本稿では、地域公共交通の維持・活性化という観点から、MaaSと公共交通の連携の意義、国内外の事例、そして政策立案における重要な視点について考察を進めます。
MaaSと公共交通連携の意義
MaaSが地域公共交通網の活性化に貢献するためには、単に様々な交通手段をデジタルプラットフォーム上に並べるだけでは不十分です。公共交通事業者とMaaSプラットフォーム提供者、そして自治体が密接に連携し、以下のような意義を実現することが求められます。
- 利用者の利便性向上と新規需要の創出: 複数の交通手段を組み合わせた移動経路の検索、予約、決済が一元化されることで、利用者の「使いやすさ」が格段に向上します。これにより、これまで公共交通を利用していなかった層や、自家用車に依存していた層の新たな利用を促進する可能性があります。特に、既存の公共交通だけではアクセスが困難な場所への移動を、MaaSによって他のモビリティサービスと連携させることで可能にします。
- 公共交通のサービスレベル向上: MaaSプラットフォームを通じて収集される詳細な移動データは、公共交通の運行状況や需要を可視化します。このデータを分析することで、運行ダイヤやルートの最適化、需要に応じた柔軟なサービス(例:デマンドバスとの連携)の提供が可能となり、公共交通自体のサービス品質向上に繋がります。
- 地域全体の交通効率化: マイカー利用から公共交通や他の共有型モビリティへの転換が進めば、交通渋滞の緩和や駐車場需要の抑制に貢献します。これにより、都市空間のより有効な活用や、交通関連のインフラ整備コストの削減に繋がる可能性が考えられます。
- 地域経済への貢献: 移動の利便性が向上することで、地域住民の外出機会が増え、商業施設やサービスへのアクセスが改善されます。また、観光客にとっての二次交通の利便性が高まることで、地域経済の活性化に寄与することが期待されます。
国内外の事例から学ぶ
MaaSと公共交通連携の取り組みは、国内外で様々な形で行われています。成功事例だけでなく、課題に直面している事例からも多くの示唆が得られます。
フィンランドのヘルシンキで展開されている「Whim」は、MaaSの初期の代表的な事例の一つです。月額定額制や従量課金制で、公共交通(バス、トラム、地下鉄、フェリーなど)に加え、タクシー、シェアサイクル、レンタカーといった多様なモビリティサービスを一つのアプリで利用できます。この取り組みは、公共交通をMaaSの中心的なサービスとして位置づけつつ、他のモビリティ手段で補完することで、自家用車に代わる包括的な移動サービスを提供することを目指しています。このような包括的なサービス設計は、公共交通の基盤があってこそ成り立つと言えます。
日本国内でも、地域特性に応じた様々なMaaS実証実験や導入事例が見られます。例えば、複数の地域で、既存の路線バスや鉄道と、デマンドバスやタクシー、オンデマンド型の相乗りサービスなどを組み合わせたMaaSが展開されています。こうした取り組みの中には、スマートフォンを持たない高齢者向けに電話予約を可能とするなど、地域住民のデジタルリテラシーや移動特性に配慮した設計が行われているものもあります。
一方、課題に直面している事例も存在します。一つの課題は、MaaSプラットフォームと既存公共交通事業者のシステム間のデータ連携の難しさです。運行情報や予約状況、決済システムなどが十分に連携できない場合、MaaS本来の利便性を損なう可能性があります。また、複数の交通事業者が関わるため、収益分配モデルの構築や、サービス提供における責任範囲の明確化も調整が必要な点です。さらに、地域住民へのMaaSサービスの認知度向上や、利用方法に関する丁寧な説明も不可欠であり、デジタルデバイドへの配慮も求められます。
これらの事例から、MaaSによる地域公共交通の活性化には、技術的な連携だけでなく、関係者間の合意形成、地域住民への丁寧なコミュニケーション、そして地域の実情に合わせた柔軟なサービス設計が不可欠であることがわかります。
政策的課題と自治体の役割
MaaSと公共交通の連携を推進し、地域交通網の維持・活性化に繋げるためには、自治体の積極的な役割と政策的な支援が不可欠です。以下に、政策立案において検討すべき主な課題と自治体の役割を挙げます。
- 法制度・規制の整備: MaaSの円滑な導入には、既存の交通関連法規との整合性の確認や、必要に応じた規制緩和が求められる場合があります。例えば、異なる交通モード間の乗り換え割引制度の導入を促進するための枠組みや、デマンド交通などの柔軟なサービス形態を認める制度設計などが考えられます。
- データ連携基盤の構築と管理: MaaSの基盤となるのは、様々な交通手段に関するデータの連携です。運行データ、利用状況データ、料金データなどを標準的な形式で収集・共有するためのデータ連携基盤の構築は、自治体や公的機関が主導的に行うことが望ましい場合があります。その際、データのプライバシー保護やセキュリティ対策も同時に講じる必要があります。
- 財政支援と事業化の促進: MaaSプラットフォームの構築や維持、そして公共交通事業者や他のモビリティサービス提供者との連携には、初期投資や運営コストが発生します。特に採算性の確保が難しい地域では、事業の立ち上げや継続を支援するための補助金制度や税制優遇などの財政的措置が有効となる可能性があります。また、MaaS事業の持続可能なビジネスモデル構築に向けた支援も重要です。
- 関係者間の合意形成と連携促進: 公共交通事業者、タクシー事業者、新たなモビリティサービス事業者(シェアサイクル、キックボードなど)、地域住民、商業者など、MaaSに関わる多様な主体間の利害調整や情報共有は容易ではありません。自治体は、これらの関係者が一堂に会し、共通認識を醸成し、協力関係を築くためのプラットフォームを提供し、ファシリテーターとしての役割を果たすことが期待されます。
- 住民への情報提供とデジタルデバイド対策: MaaSサービスがどれだけ優れていても、住民に認知され、利用されなければ意味がありません。サービス内容や利用方法に関する丁寧な情報提供に加え、スマートフォン操作に不慣れな高齢者など、デジタルデバイドの課題に対応するための代替手段(電話予約、窓口対応など)の検討も、自治体の重要な役割です。
これらの政策的課題への対応は、MaaSを単なる技術導入に終わらせず、地域全体の交通システムを持続可能で利用者中心のものに変革していくために不可欠です。
今後の展望
MaaSは、今後も自動運転技術の実用化や再生可能エネルギーを活用したEVの普及など、技術的な進化と連動しながら発展していくと考えられます。自動運転シャトルバスや自動運転タクシーがMaaSプラットフォームに組み込まれることで、運行コストの削減や24時間サービスの提供などが可能になり、公共交通サービスのあり方がさらに変化する可能性があります。
また、MaaSは交通手段の提供に留まらず、観光情報、商業施設のクーポン、行政サービスとの連携など、より広範な地域サービスを含む「地域生活MaaS」へと進化していくでしょう。これにより、住民の日常生活をより豊かにし、地域への定住・来訪を促進する効果も期待できます。
結論:戦略的なMaaS導入による地域交通の未来
地域公共交通の維持・活性化は、持続可能な地域社会を築く上で喫緊の課題です。MaaSは、多様な交通手段を統合し、利用者の利便性を飛躍的に向上させる可能性を秘めていますが、その導入にあたっては、既存の公共交通網との戦略的な連携が不可欠です。
単なるデジタル化ではなく、地域の実情や住民ニーズに深く根差したサービス設計、関係者間の密な連携、そして自治体による適切な政策支援と調整機能がMaaS成功の鍵となります。国内外の事例から学び、技術的な側面だけでなく、社会的、経済的、そして政策的な視点からMaaS導入戦略を検討することが、地域公共交通の未来を拓くことに繋がると考えられます。政策立案に携わる皆様にとって、本稿が今後の検討の一助となれば幸いです。